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Channel: 半身不随になった元IT系社長の独り言
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前向きで鈍感になる事?

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今朝、火野正平さんがNHKの番組でやっている

自転車で日本を縦断するという「こころの旅」という番組で

渓流の河原の石垣にしゃがんで座りながら話をしているシーンを観ていて、

何も(辛さ)を感じない自分がいることに気が付いた。

というのも、障害者になった当初の僕なら、

火野正平さんが石垣に座っているシーンを見ただけで、

「しゃがむ」という姿勢さえできなくなった自分や

石垣などという不安定なところに立っていることさえできない自分、

そんな自分と比較してしまい、

観ていることができないくらい辛い思いになったものだ。

それが今日は何も感じないで

観ていることができている自分いることに気づいた。

なぜだろう?

考えてみた

これは前向きになれたということ?

いわゆる障害を受け入れることができた

もしくは障害を乗り越えることができた

ということなのだろうか?


いや何か違う!


単に「そこ」から目をそらしているに過ぎないのではないか!

「そこ」を直視すると辛くなるから、

観る事を避けているだけ!

考えることを避けているだけ!


考えてしまって辛くならないように、 、 、



辛い状況の中で、

人間が前向きになるということは

結局、現実から目をそらしているに過ぎない

のではないのだろうか。

もっと言うと

心が「鈍感」になってしまうことではないだろうか


(精神的)感度が鈍感になることによって

辛さを感じなくなること


それが前向きになる事であり、

ポジティブになる事なのかな

とも感じる。

今国会で論戦になっている安保法制論議の中で、

かつてイラクに派兵された自衛隊員の中の

57人が自殺したという事を

野党を問題視している話を聞いたときに、

ふと疑問に思ったことがある。

自衛隊はいずれも戦闘をした訳では無い。

だから死ぬか生きるかのギリギリの恐怖を味わった訳でもない。


もちろん、仲間が目の前で(血まみれで)死んだわけでもない。

にもかかわらず

なぜ精神状態がおかしくなり、

自殺してしまうのかという疑問だった。

僕なりに考えた自殺理由は

(自殺者のすべてが陸上における後方支援か、

地元難民の人道的支援に従事した隊員だけで、

海上における米軍の給油支援をした隊員に浸す者はいない)

という情報から推測して、

現地の悲惨な状況つまり難民の悲惨な状況、

たとえば何の罪もない子供たちが病に冒され、飢え、

苦しみながら死んでゆく姿等々

そしてそれを食い止めることができない自分がいる

そんな状況を目の当たりにし、自分が何もできなかった(助けることができなかった)

たことから、トラウマとなり精神状態をおかしくして

自殺に追い込まれてしまったのではないかという推測。

でも、そういった悲惨な状況を毎日見ていて、

「鈍感になれる人」は

精神状態がおかしくならずきっと、自殺に追い込まれる事はない。


そういうことではないのか?


以前、どこかの番組で(多分NHKだったと思う)で

かつての沖縄戦に従軍したアメリカ軍の兵士の

手記を紹介していたことを覚えている。

毎日のように目の前で繰り返される一般住民の悲惨な光景、

手榴弾によって集団自決する一般住民と

取り残された飢えに苦しみ泣き叫ぶ子供たち

そういう光景を見ていても、何も感じなくなってきている自分がいる…

不思議な感覚だった・・

まるで自分の感情がなくなってしまったような感覚

というような内容だったと思う。

やっぱりそういうこと(心が鈍感になる事)

考え方によっては目の前で人が血まみれで苦しんでいても

(現実から目をそらすことができ)何も感じないこと


そういう心になれることが前向きになるという事で、

ポジティブになれるという事ではないのだろうか



だとしたら、

そんな「前向きさ」やポジティブシンキングって

本当に良いことなのだろうか

などと、

NHKの「こころの旅」を観た後に

自分の心の変化を不思議に思い、考えてた。。


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