僕が空港の駐車場で見た
障害者エリアに高級車が並んでいた事について
ある読者の方から、
そういう人たちがそのような行動をする根底には
「選民意識がある」とのお考えをメッセージで頂きました。
どういうことかと言うと
自分たち(特に地位や名誉も財産もある人々)は
選民、つまり「選ばれた人間」だという意識があるというお考えです。
なるほど・・・と思う同時に、
今イスラエルのガザで起きている
イスラエル政府による(ネタニヤフはテロ組織への攻撃と言っているが)
無差別攻撃(言っても良いと思う)
を思い起こした。
これも大昔から激しく行われている宗教戦争と同じで、
その根底には(特にキリスト教≒ユダヤ教信者≒アングロサクソンも)は
選民思想が強いことから起こる悲惨な出来事だと思う。
(キリスト教だけでなく仏教も含めあらゆる宗教でも)
選民思想的な考えから
同様の悲劇がもう何千年も繰り返されてきた。
なぜなら、選民思想においては、
自分だけが(神というような絶対的存在から)
選ばれた人間だから
相手を差別し、
その差別が、相手は人間ではない、
というレベルまで進む傾向にあります。
行きつくところ相手は人間ではない、
畜生や家畜みたいなものだから
滅ぼしてもかわまない、
となるわけだから・・
そこから、敵国への侮蔑の言葉も出てきてしまう
そんな選民思想においては、相手を差別し、
その差別が、相手は人間ではない、
というレベルまで進む。
相手は人間ではない、
畜生や家畜みたいなものだから
滅ぼしてもかわまない、となる。
そこから、敵国への侮蔑の言葉も出てきます。
差別的な言葉が用いられ、
相手を、同じ人間だと思わせないようにします。
そこで、虐殺が簡単に起こるのだと思う
なぜこんな考えが起こるのか・・
そもそも宗教とは・・
どんな宗教も本来、人類を幸福にするために
出てきた考えた方であるはずなのに・・
そこには上述の選民思想(意識?)が
あると思う
それを考える場合、
なぜ、人間には
選民思想(意識?)のようなものが生まれるのか
というところから考えなければいけないと僕は思う
僕なりの解釈では
人間誰しも
「自分だけは・・」
例えば
自分は交通事故を起こさない
とか
「まさか自分の身には・・・」
例えば
まさか自分が突然暴漢に殺されたりしない
とか
まさか自分が
若いうちに癌で死んだりしない(死にたくない)
という気持ちが心のどこかに宿っていると思う。
僕自身、小さいころ、(小学生か中学生の頃だったと思う)
そう考えていた。
自分が死ぬなんて絶対にありえない
理性では(事故か病気で)死ぬ可能性がある事は理解できても
それが現実になることや
自分の死なんて想像すらできなかった
そんなとき・・
自分だけはきっと助かる。。
(そう)なるはずがない
と感じていたことを覚えている。
こういう考え方をしてしまう根底には
「人間が本来持つ死への恐怖」
があると僕は思う
そして、
自分だけは(もしかしたら)死なないかも・
誰か(神様のようなもの)が救ってくれるはず・・
と「救い」を求める心が生まれる
※実際僕も脳出血で半身不随になってしまったときも
「まさか自分が障害者になるなんて・・これはウソに違いない・・・夢に違いない」
とか、自分だけは奇跡が起こり、再び元の健常者にしてくれる存在(神)のようなものが救ってくれるに違いないなどと入院中に考えたことも事実である(自分の自我がそう思わせたのだと思う)
そこから
自分は(神から?)選ばれし存在かも・・
(できればそうなりたい・・そうであってほしい)
と
考えてしまう心が芽生える。
そこから
「自分だけは・・ない」
「自分に限って・・・にならない」
という思いが積み重なり・・・
きっと自分は(神から?)「選ばれし存在」に違いない
というところまで考えが行き着いてしまう。
つまり
「希望」が
いつの間にか「確信」に変わってしまう。
それが「選民意識」の根源ではないか
と僕は感じている
自分だけは違う(はず)なのである
もっと考えると
もっと大元の原因は「自我」の存在だと僕は思うのだ。
だから、僕はこのブログでも何度も書いたと思うけど
そんな「自我」はできれば捨てたい
と思っている。
「自我」があるから
「自我」が消える「死」が怖い。
そこで死の恐怖から逃れる術が「神の救い」であり
天国とかいう
(僕に言わせれば存在するわけがない)死後の世界を
創造することによって
そこで「神」とか「ご先祖の霊」に会うことができ救われる・・
と考えた。
宗教なんてそんなもんじゃないかと僕は思う。
でも僕は・・
「自分だけは・・」
「自分に限って・・・」
と思っていた、50歳前に脳出血・・
40歳前に心臓手術・・
が実際に自分に起きてしまった・・
もう
自分だけが特別じゃないことは身に染みているつもりだ。
いずれ皆と同様に死ぬ。。。と実感している
事前は理性で理解していただけだけどm
今は「実感」がある
自分も 所詮は「one of them」
つまり「その他大勢のひとり」に過ぎない
だったのだと気付かされた。
だから僕の中には
限りなく「自我」や「選民意識」は少ないだろう
と思っているし、
これからもそう努力していきたいと思う。
つらつらと思ったことを思うまま書いていたら
やたら読みづらい長い記事になってしまった・・(^_^;)
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選民思想・・か
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