「諦めたら、そこで本当に終わりだよ」
僕は障害者になってから、大切にしている言葉のひとつだ。
この言葉を初めて知ったのは、7年前に脳出血で倒れた時、
半年間入院したリハビリ病院の休憩室に吊るしてあった1枚の短冊に書いてあった言葉だ。
いつ歩けるようになるかわからない(結局普通には歩けるようにならなかったけど)
毎日毎日理学療法士とリハビリをしていた。
いつまでたっても「普通に」歩けるようにならないし、
左手は物の持つことさえできない日が続いた。
もう俺に何もできないのではないかとさえ思う日々であった。
そんなとき、目に入った短冊の言葉だった。
諦めたら本当にそこで終わる・・・
そうだよな・・
いつになったらこのマヒした足が動き、
左手も動くようになるかもしれないけれど、
確かに諦めたら、本当にそこで終わりだよな・・
そんなふうに自分に言い聞かせ、
毎日のつらいリハビリを頑張ったような・・・
そんなことを思い出す僕にとっ一番つらかった日々を思い出す言葉である
この言葉は、リハビリ病院を退院して、日常生活に戻った後も
日常生活において、半身麻痺という障害がつらくてたまらなかったときや
この身体では、「もうこれ以上無理、不可能! 」などと
諦めかけときなんかに
いつも思い出すようにしている。
仕事でも同じ・・
これは不可能だろうな・・などと思ったとき
「諦めたらそこで本当に終わりだぞ!」
と、自分に言い聞かせ、
「なんとか工夫すればできるはずだ、もっとよく考えてみろ!」
と自分にハッパをかけるときに思い出すようにしている、
僕にとっては、とてもとても大切な言葉の一つである。
この記事を書いているときに、
あまりに悲しいニュースが飛び込んできた。
虐待の障害児、4年間で1200人保護
障害児を虐待? ? !
大の大人でもつらい身体障害・・・
ここまで来るのにどれほど辛い思いをしたか・・
大人だからこそ、自分なりに生き方を見つけ、自分にハッパをかけ
なんとか生きてきたけれど、
まだ生き方さえ知らない、障害があるから、
文句も言えないかもしれない、 反抗やさえもできないかもしれない
自分ではどうにもならない幼い子供の障害者に対して虐待!?
言葉にならない怒りを感じる。。。
僕は障害者になってから、大切にしている言葉のひとつだ。
この言葉を初めて知ったのは、7年前に脳出血で倒れた時、
半年間入院したリハビリ病院の休憩室に吊るしてあった1枚の短冊に書いてあった言葉だ。
いつ歩けるようになるかわからない(結局普通には歩けるようにならなかったけど)
毎日毎日理学療法士とリハビリをしていた。
いつまでたっても「普通に」歩けるようにならないし、
左手は物の持つことさえできない日が続いた。
もう俺に何もできないのではないかとさえ思う日々であった。
そんなとき、目に入った短冊の言葉だった。
諦めたら本当にそこで終わる・・・
そうだよな・・
いつになったらこのマヒした足が動き、
左手も動くようになるかもしれないけれど、
確かに諦めたら、本当にそこで終わりだよな・・
そんなふうに自分に言い聞かせ、
毎日のつらいリハビリを頑張ったような・・・
そんなことを思い出す僕にとっ一番つらかった日々を思い出す言葉である
この言葉は、リハビリ病院を退院して、日常生活に戻った後も
日常生活において、半身麻痺という障害がつらくてたまらなかったときや
この身体では、「もうこれ以上無理、不可能! 」などと
諦めかけときなんかに
いつも思い出すようにしている。
仕事でも同じ・・
これは不可能だろうな・・などと思ったとき
「諦めたらそこで本当に終わりだぞ!」
と、自分に言い聞かせ、
「なんとか工夫すればできるはずだ、もっとよく考えてみろ!」
と自分にハッパをかけるときに思い出すようにしている、
僕にとっては、とてもとても大切な言葉の一つである。
この記事を書いているときに、
あまりに悲しいニュースが飛び込んできた。
虐待の障害児、4年間で1200人保護
障害児を虐待? ? !
大の大人でもつらい身体障害・・・
ここまで来るのにどれほど辛い思いをしたか・・
大人だからこそ、自分なりに生き方を見つけ、自分にハッパをかけ
なんとか生きてきたけれど、
まだ生き方さえ知らない、障害があるから、
文句も言えないかもしれない、 反抗やさえもできないかもしれない
自分ではどうにもならない幼い子供の障害者に対して虐待!?
言葉にならない怒りを感じる。。。