生きる意味と意義
人は生きる事に意味を求め
意義を作り出そうと懸命になるが
生まれてきたことには何の意味もない
この世に生きる生き物はすべて同じ
草も木も花も鳥も魚も貝も虫も
そして目に見えぬ微細な生物もみな
ただ生まれて今を生きて
移り変わってやがて死んでゆく
ただそれだけのこと
だが人間だけが死を極端に怖れる
遠い未来の死にさえも怯える
それは今生きていることの「快い刺激」を
失うことを怖れるからだ
人が生きている間にする事といえば
この心身の快いものを追い求めるだけのこと
見目よいもの、甘美な音楽、香しい匂い、美味しいもの
華麗な衣装、豪華な車、そして豪華な住まい
楽しい時間、おもしろい出来事・・
目、耳、鼻、舌など心身の五感に心地よい刺激を与え続け、
それをひたすら追い求め一生を送る
ただそれだけ、
そこには意味も意義も存在しない
人の欲望・・
生きるためにはわずかのものと食糧さえあれば足りる
人間以外のすべての生き物はそれだけで生きている
けれども人間だけがそれだけでは足りず、
食糧も衣服も住まいも
いつまでも足りることを知らない
心も満ち足りて十分ということがない
もっといっぱい
もっと多くを
もっと、もっと もっと、
と
飽かずに求め続ける
すべての生き物の中で人間の心の中にだけ
ものごとを貪る欲望が巣を張り巡らせている
あれがほしい、これもほしい
あれがしたい、これもしたい
愛されたい
愛するものとずっといたい(できれば永遠に・・)
健康でいたい、長生きしたい
さまざまな欲望がものやコトに絡みつき心を縛る
ひたすら身体的心地良さと
満ち足りた気持ちを
追い求め続ける人の欲望
しかし、その欲望は欲しいものを手に入れてもすぐに
次の求める心が湧きあがり、
欲望の炎は燃えさかり、燃え移るように
自らの心を灼き続ける
坂を転がり落ちる岩の速度が速まるように
そして徐々に望むものが多くなり、膨らみ続ける
どこかで止めなければ、生きている限り終わることなく連鎖していく
こんな欲望に支配されている心こそ自由のない心であり
そしてそれは大きな「生きる苦しみ」でしかない
無我・自我
渡り鳥は
一生を海と空と大地の間の真っ只中を
なにものをも頼りとせず、渡りの旅を繰り返すときに
夜のねぐらの心配という心はあるのだろうか
明日の食糧をどうすべきかという心配の心はあるのだろうか
襲い来る天敵の鳥や獣や嵐はあっても
それを心配し、
不安になり
その備えもないがために起こる
恐怖のおののく心せいで
渡りの旅を止めることはない
鳥は自らの身体一つ以外は一切何も持たず、
「心」の内に一切の戸惑いとか迷い心など持たず、
ときが来ればすべてを置いていくべきところに向かう。
そして翔んでゆく空のどこにも跡を残さない
自分の命さえも「惜しむ欲」さえ持たず
「我」という思いも生まれない
「我」がなければ(「無我」になれば)
「苦しむ本体」もない
でも人間は
「永遠に生きる霊魂」などというものを夢見て
自らの「我」の種を捲き育ててしまい
それゆえ「我」は悩み続けなければならない
でも
「我」を持ったところで何も変わりはしない
もとももと「我」というものはなく
生まれたことや
生きることに
「意味」や「意義」なんて存在しないように
「我」にもまた意味はない
こんな鳥のように永遠を思う心を持たず、
未来の死を怖れる心を持たず
そして欲する心をも持たず、
欲することさえなければ
不満も持たず、
足らざるを思わず
それゆえ、怨まず、怒ることもない
それゆえ・・・
(心の)不幸からは遠く離れてしまい
(透明に)浄らかに生きて
幸いな一生を送ることができるだ
なんて詩を僕の心の思うまま、柄にもなく書いてみた・・
人は生きる事に意味を求め
意義を作り出そうと懸命になるが
生まれてきたことには何の意味もない
この世に生きる生き物はすべて同じ
草も木も花も鳥も魚も貝も虫も
そして目に見えぬ微細な生物もみな
ただ生まれて今を生きて
移り変わってやがて死んでゆく
ただそれだけのこと
だが人間だけが死を極端に怖れる
遠い未来の死にさえも怯える
それは今生きていることの「快い刺激」を
失うことを怖れるからだ
人が生きている間にする事といえば
この心身の快いものを追い求めるだけのこと
見目よいもの、甘美な音楽、香しい匂い、美味しいもの
華麗な衣装、豪華な車、そして豪華な住まい
楽しい時間、おもしろい出来事・・
目、耳、鼻、舌など心身の五感に心地よい刺激を与え続け、
それをひたすら追い求め一生を送る
ただそれだけ、
そこには意味も意義も存在しない
人の欲望・・
生きるためにはわずかのものと食糧さえあれば足りる
人間以外のすべての生き物はそれだけで生きている
けれども人間だけがそれだけでは足りず、
食糧も衣服も住まいも
いつまでも足りることを知らない
心も満ち足りて十分ということがない
もっといっぱい
もっと多くを
もっと、もっと もっと、
と
飽かずに求め続ける
すべての生き物の中で人間の心の中にだけ
ものごとを貪る欲望が巣を張り巡らせている
あれがほしい、これもほしい
あれがしたい、これもしたい
愛されたい
愛するものとずっといたい(できれば永遠に・・)
健康でいたい、長生きしたい
さまざまな欲望がものやコトに絡みつき心を縛る
ひたすら身体的心地良さと
満ち足りた気持ちを
追い求め続ける人の欲望
しかし、その欲望は欲しいものを手に入れてもすぐに
次の求める心が湧きあがり、
欲望の炎は燃えさかり、燃え移るように
自らの心を灼き続ける
坂を転がり落ちる岩の速度が速まるように
そして徐々に望むものが多くなり、膨らみ続ける
どこかで止めなければ、生きている限り終わることなく連鎖していく
こんな欲望に支配されている心こそ自由のない心であり
そしてそれは大きな「生きる苦しみ」でしかない
無我・自我
渡り鳥は
一生を海と空と大地の間の真っ只中を
なにものをも頼りとせず、渡りの旅を繰り返すときに
夜のねぐらの心配という心はあるのだろうか
明日の食糧をどうすべきかという心配の心はあるのだろうか
襲い来る天敵の鳥や獣や嵐はあっても
それを心配し、
不安になり
その備えもないがために起こる
恐怖のおののく心せいで
渡りの旅を止めることはない
鳥は自らの身体一つ以外は一切何も持たず、
「心」の内に一切の戸惑いとか迷い心など持たず、
ときが来ればすべてを置いていくべきところに向かう。
そして翔んでゆく空のどこにも跡を残さない
自分の命さえも「惜しむ欲」さえ持たず
「我」という思いも生まれない
「我」がなければ(「無我」になれば)
「苦しむ本体」もない
でも人間は
「永遠に生きる霊魂」などというものを夢見て
自らの「我」の種を捲き育ててしまい
それゆえ「我」は悩み続けなければならない
でも
「我」を持ったところで何も変わりはしない
もとももと「我」というものはなく
生まれたことや
生きることに
「意味」や「意義」なんて存在しないように
「我」にもまた意味はない
こんな鳥のように永遠を思う心を持たず、
未来の死を怖れる心を持たず
そして欲する心をも持たず、
欲することさえなければ
不満も持たず、
足らざるを思わず
それゆえ、怨まず、怒ることもない
それゆえ・・・
(心の)不幸からは遠く離れてしまい
(透明に)浄らかに生きて
幸いな一生を送ることができるだ
なんて詩を僕の心の思うまま、柄にもなく書いてみた・・